Return to site

散歩の足跡を略図化する

点と点をつなぐ軌跡をたどって共有する物語

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行った卒業式スピーチが「伝説」となって以来、connecting dots という言葉がよく使われるようになった。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever.

(もう一度言おう。先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じることだ。何かを信じ続けることだ。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。)

「点」がつながって線になるのは「結果」である。場合によっては「点」はもともと存在しておらず、ある時、出現する。既存の「点」を予定通りつなぐことではない。そこを勘違いしてはいけないとジョブズは戒めているのだ。

「点」との出会いは、自らの感性と直観を信じて、ある道を歩き続けていくうちにたまたま生じる。したがって、まずすべきは自らの足で「歩く」こと。目的地へ最短距離で「移動 transport」するという発想や、都合のよいように点をつなぐという思惑を捨て、足の向くまま、気の向くまま「散歩 wayfaring」する。そのときに、立ち止まって、上を見たり、下を見たり、何かの声を聞いたり、匂いにひかれたり、触ったりする。周囲の環境に反応し、ときに横道にそれることも厭わない。その結果、思わぬ「点」と出会い、過去に出会った「点」と突如つながり、「ライン」が生まれる。

ネットワークとかハブという発想は、「点」から「点」へのアナログな歩みのプロセスを切り捨てている。パウル=クレーは、このことをちゃんと見抜いていた。彼の絵の特徴であり、生涯探究し続けた「ライン」は、自分のペースで自由に進みながら「点」と出会い、その軌跡として生まれる「ライン」。それを「散歩に出かけるライン」と呼んだ。これに対して、既にある点と点を結びつけてできたラインは、あちこちの「会合をハシゴするライン」と呼んだ。クレーは、散歩によってできたラインを追認するときは、ともに歩いているような体感を復元できるが、会合のハシゴラインでは「静態的」で、動きをまったく感じられないと言った。

ネット社会は、瞬時の検索によるアクセスのしやすさという大いなるメリットを生み出した。反面、途中のプロセスが捨象されたことによる弊害を引き起こしている。これを乗り越えるためには、デジタルなネット社会を否定するのではなく、アナログに生成発展する網の目を大事にすることが必要だ。

あちこち道草して得られた「点」が、寄り道の軌跡として「ライン」となる。「点」と「点」をつなぐ動機があらかじめあったわけではない。なんとなくある方向に行ったら偶然出会った「点」がつながったに過ぎない。そんな「点」のつながりの意味について「あとづけ」し、「こじつけ」て、connecting dots した!と盛り上がるのである。

認知科学者の佐伯胖は「略図による現実のモデル化」を重視した。

 

「他人が略図を読み取るのは、その図をオリジナルに描いた人が『思いめぐらしたこと』に共感し、その人がモデルや現実の世界にどう入って行ったか、どう操作し、変形し、視点を動かして世界自体を心にとどめようとしたかを追体験することである。そのように、略図というのは、個人的なものであるが、他人にも共感できる『思いめぐらし』の入口である」(佐伯胖『コンピュータと教育』)

『ラインズ』『メイキング』の著者・ティム=インゴルドも「略図 sketch map」と正式に作られた「刊行地図 cartographic map」とを分け、「略図」を描き、読み解く力の大事さを強調している。

「略図上のラインは、以前に何度もそこを往復した経歴によってすでに熟知した場所から場所への、実際に行われた旅を(手の)身ぶりによって再現したものである。それらのラインの継ぎ目、分岐、合流点はあなたがどこに行きたいのかに応じて、どの道を辿ればいいのか、どれが間違った道なのかを示している。それらは運動するラインである。そのラインの『歩行』はその土地を通ってゆくあなた自身の『歩行』の軌跡を辿るものだ。」(ティム=インゴルド『ラインズ 線の文化史』)

見事に二人の言っていることがシンクロしているではないか。

私たちは「略図」を介して理解を共有する。その理解は、どのように「略図」で描かれた軌跡を作者が歩いたかを追体験する形で行われる。一筆書きが書き進められるようにラインが生まれるプロセスを含めて共有したいのであって、散りばめられた「点」をつないだ「星座」のような全体像が見えればいいというわけではない。

私たちが「散歩」すると生成されるライン。そこから現実を反映するモデルとしての「略図」が生まれる。その「略図」に込められた「物語」を共に読み解くのが面白い。

「略図」が生き生きとしたかたちをつくり出し、動き出すように見える。だからこそ、平面に抽象化され、記号化されているにもかかわらず、「地図」に立体感を覚え、ワクワクしてしまう。

見つけよう、集めようという前に、見つかったもの、集まったもの、見つからなかったこと、集まらなかったことをふりかえり、その軌跡をたどり、自分の Feel°C を見つめなおす。そのために「略図化」し、みんなで共有して楽しみたい。

私が面白がっていることはそういうことなのかもしれない。

All Posts
×

Almost done…

We just sent you an email. Please click the link in the email to confirm your subscription!

OKSubscriptions powered by Strikingly