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時の層から湧き出す声を聴く

大森・馬込 遊歩エセー

どんよりした空模様で今にも降り出しそうだ。大森駅の海側の駅前広場を横目に通り過ぎ、線路沿いに細長く伸びる公園を歩く。かつてここが海岸線であったことを意識してつくられたのだろうか。そう思うと、波打ち際を歩いているような気がしてくる。しばらく行くと、京浜東北線と東海道線のガード下をくぐる。自転車と歩行者専用につくられたトンネルだ。入口の壁に小さな貼紙がしてある。

「金魚をとらないでください」

ガード脇に水が湧き出ているところがあり、大きめの鉢が置かれ、金魚が数匹泳いでいた。やはりこの辺りは水辺なのだ。

通路は暗い。だが、側面の壁が鏡になっていて光っている。中央付近にさしかかると円形に輝いている部分がある。そこには大きな円いガラスがはめこんであり、むき出しの赤土に無数の貝殻が埋まっているのが見える。

大森貝塚

昔、理科だったか社会だったか忘れたが習ったことがあり頭に残っている。ここらが貝塚があった辺りというわけか。

 

薄暗いトンネルの真っ只中に展示されていたのは模型で、実際にこの場所にあった貝殻層ではなかった。しかし、使われている貝殻は本物で、出土した時の様子を忠実に再現してつくられたようである。

ガードを抜けると急に登り坂だ。登りきった先を左折すると大森貝塚史跡公園の入口だった。

ここにモース博士が東海道線の列車の車内から発見した貝殻の層があったということか。

ついに雨粒が空から落ち始め傘を開いた。入口の門から奥へ向かってゆるやかな登り斜面になっている。斜面の頂上は小山のようになっており、周囲は赤茶色した壁で囲まれていた。

こんな天気の時に貝塚趾を訪れる人はいない。無人の園内にある壁を目指して斜面を歩き始めたとき、突然、白い霧のようなものが壁の前の地面から立ち上った。白煙はたちまち広がり、今まで見えていた壁面は全く見えなくなった。

実は、壁面の前はたくさん噴出孔のある噴水広場になっていて、水ではなく大量のミストを一気に放出していたのだ。

炎天下ならわかる。しかし、今日のような肌寒い、雨模様の日にミストを出すとはとても不思議な感じがした。ただ、灰色の空でなんとなく煙った日に、追い打ちをかけるような人工の霧は、貝塚公園に期せずして神秘な空間を生みだした。

白い煙が晴れた先に行ってみると、さっきのトンネルと同じように、たくさんの貝殻が壁じゅうに散りばめられていた。改めて一つひとつを眺めてみると、巻貝もあれば、アサリやハマグリのような二枚貝もあるし、牡蠣殻のようなものもある。大小、形、様々な大量の貝殻。この他に獣や魚の骨も出土されているようだ。

素材も豊かだし、火、器、刃物などの道具を使って調理もしっかりしていそうだ。狩猟採集は、とれるときもあればとれないときもあり不安定な生活を強いられるように思う。しかし、その時々のおいしいものを見つけ、工夫して食べていた暮らしが目に浮かぶ。

 

「私、滅多に貝なんて食べないのに、昨日、たまたま貝づくしだったんです」

 

連れの友は、古代人の食生活の豊かさを実感して、思わず口にしてしまったのだろう。

公園を後にして、大森駅の山側の尾根を貫く大通りを進む。ほどなく赤い大きな門柱が見えた。

 

成田山大森不動尊

 

と書かれている。本堂は大通りから外れた奥まったところにあり、参道が伸びている。境内に入ってすぐのところに大銀杏がそびえている。秋の色づいた銀杏の美しさは言うまでもないが、この時期の緑の葉のこんもりと繁る銀杏もいい。

幼稚園が本堂のすぐ脇にあり、境内と園庭が一緒になっている。そこに園児が作ったと思われる、木の枝を組み合わせてつくった小屋のようなものがあった。子どもの字で「ようちえんのいえ」と書いた紙が貼ってあった。縄文人が住んでいた竪穴式の家のようだ。

本堂は、妙に豪奢でなく、だからと言って、コンクリートづくりで味気ないものではない。質素な木造が心地よい。

境内の脇から細い道が伸びている。その道は寺の隣の敷地へ続いていた。そこは神社だった。

日枝神社。

ここら辺りの住所が山王と呼ばれるのは、山王権現を祀る日枝神社がここにあったからだとわかる。社殿の裏手には「山王稲荷」という社が二つ建っていた。一つは、「山王稲荷」なのだが、もう一つは「栄利稲荷」だった。稲荷はもともと豊作を祈る神だが、商売の繁栄を願う神でもある。「栄利稲荷」とは、輪をかけて繁栄を祈願するというなんと露骨なネーミングだが、ここまで正直に言われるとむしろ清々しく感じる。

再び大通りに戻ると、字のかすれかけた案内板が目に入った。バスも行き来する交通量の多い大通りは、東海道ができるまで主要幹線で、鎌倉に通じる鎌倉道だったと書かれていた。江戸時代以前、中世期に既にあった道の上を今、私は歩いていることに気づかされる。

古代から中世、近世と、ほんの数百メートル歩く間に時空を飛び超える感覚が面白い。

再び大森駅前に戻り、天祖神社のある急峻な坂を登り、馬込の文士村を目指すことにする。崖際には数々の文士のレリーフが掲げられている。

昭和の初期から戦後にかけて名を馳せた有名文士たち。

「りきさん、どれぐらい知っています?」

連れの友にたずねられる。彼らは私が文学好きだと知っているから、ほとんど知っているのだろうと思っているのかもしれないが、恥かしながら三分の一ぐらいしか知らない。読んだことがあると言われたらさらに半分に減るだろう。

「三分の一も知っているんですか。私、ほとんど知りません」

平成生まれの若き連れたちは言う。

だったら、なおさら偶然に任せて歩くのがいいだろう。どうせ知らないなら、足の向くまま気の向くまま歩いた先に誰に出会うか楽しもうではないか。

早速、マンションの前に案内板が見えた。一人目の文士に早くも遭遇かと思い近づくと、マンションを建築する際に、遺跡が出てきたことを記すものだった。

掘らなくても剥き出しになっていた古代の貝塚に触れ、掘れば出てきた中世の道や住居の遺跡には出くわしたが、馬込文士にはなかなか出会わない。豪邸は立ち並んでいるが、文士の住居跡を示す案内板は現れない。環七を横断し、坂道の入りみだれる馬込の丘に入り、ようやく文士の名を記した案内板に出くわした。

私たちが導かれたのは、詩人の三好達治の住居跡だった。馬込にやってきたのは、達治が師と仰いでいた萩原朔太郎に誘われたからだと案内板に書かれていた。

「僕の名前にも「達」があります」

連れの友がうれしそうに言う。そう。それでいい。だから何?と思わず、

「やっぱりなんかつながりあるんだねえ」

と意味をこじつけてみる遊びを楽しもうではないか。

私は、教科書に載っていた達治の詩を思い出した。

雨が降っている

雨が降っている
雨は蕭々と降っている

(三好達治『大阿蘇』より)

まさに今日のような天候だ。しかし、この詩は、雨の中、阿蘇の大平原に立つ馬の群れの姿を描いたものだ。都会の住宅地の情景とは大違いだ。そんなことを思いながら三好達治の住居跡を離れようと向きを変えるとこんもりとした緑が見えた。神社のようでもあるが、鳥居がない。個人の土地だったら中に入ることは難しいだろう。すると小さな門があり、開いていた。

馬込自然林緑地

という札がかかっていて、面積は決して広くないが、かつての馬込を彷彿させる雑木林を保存している一画だった。

起伏の激しい丘の斜面に樹木が鬱蒼としげっている。その中を横切る、ほんのわずかな距離の遊歩道に足を踏み入れる。文士村ができる以前、江戸時代、さらにその前の中世の道が走っていた頃、いや、もっと昔、縄文や弥生の民が生活していた時もそうであったかもしれない痕跡がほんのわずかながら残されていた。

阿蘇の草原の壮大さとは比べものにならないが、馬込の丘に馬がいたときの光景を思い浮かべながら、先ほどの詩の続きを思い出した。少しだけ「馬込」にアレンジして……

 

馬は草を食べている
馬込のとある丘の
雨にあらわれた青草を

彼らはいっしんにたべている

たべている
彼らはそこにみんな静かにたっている
ぐっしょりと雨に濡れて

いつまでもひとつところに

彼らは静かに集まっている
もしも百年がこの一瞬の間にたったとしても

何の不思議もないだろう

自然林緑地のすぐそばには、どこにでもある普通の児童遊園があった。そこは別の文士の住居跡であった。

山本周五郎だ。

『樅の木は残った』は大河ドラマになり、『季節のない街』は名作。椿三十郎や赤ひげは山本原作の小説を黒澤明が映画にしたものだ。歴史小説を書いた印象が強いが、司馬遼太郎を始めとする作家と異なる大きな特徴は、信長や家康のような権力者、松陰や龍馬のような志士を描くのではないところだ。組織の壁に阻まれながらも誠実に義を通そうとした人物や、政治には無関係な市井の庶民の姿を通して、生きることの意味、尊さを見事に表現したのである。

「一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが、途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも、一歩、一歩をたしかめてきたという自信をつかむことのほうが強い力になるものだ」

朝食後、毎日、散歩し、行きつけの古本屋で本を覗いて帰ってきて、仕事に臨んだという周五郎先生らしい言葉だ。

 

名を残した人の背後には、数多の名を残さなかった人がいる。言葉に記録された歴史の裏側には、無数の記録されない事実がある。そんな人や事実に光を当てることがあってもいい。むしろ、そこに光が当たることで見えてくる歴史の真実、人間の本質がある。

ふと、ここに来るまでの間に目にした下水の空気穴のことを思い出した。歩道の脇に、フェンスに取り囲まれて、ラッパのような形をした巨大な空気抜きの穴があったのだ。台風や大雨のときに下水道管の中を勢い良く流れる雨水により、押されて逃げ場のなくなった空気の圧力を逃がすためのものだと説明書きされていたが、大森や馬込を歩くまで、この装置を見たことがなかった。

ラッパのような穴は、昔、懐かしい電話の受話器のようにも見えた。あの受話器を通じて地面に埋もれた人々と話ができるんじゃないか。そんな妄想にとりつかれた。

海の幸を堪能した者もいれば、猪に体当たりされて死んだ者もいる。ご利益を得ようと社にお参りして栄利を得た者もいれば、お不動様にすがるために必死に街道を歩いた者もいた。馬に乗って江戸へ馳せ参じた者もいれば、馬に薪を乗せて働いた者もいた。麻雀に興じ、ダンスパーティーに明け暮れたモダンボーイとモダンガールもいれば、日本一の小説家になることを目指しへそ曲がりと言われても日々努力した者もいた。

これまで積み重ねられた歴史のミルフィーユを通して聞こえてくる多数の声が、あの空気穴を抜けて聞こえて来るような気がした。

「りきさんはなんで偶然という言葉を使うんですか。アーティストの人はむしろ必然とおっしゃる人が多いと思うんです」

なるほど。世の中に偶然などない。うまくいくことも、うまくいかないことにも理由があり、偶然と見えることも必然。むしろ、偶然というようなその時の風任せに頼るのは危うい。しっかりした技術や優れた感性の生み出す必然の結果と見る方がいいのではないか。そう考えたい気持ちはわかる。

しかし、私は、ミルフィーユの積み重なりは、その時々の、たまたまの縁に影響されて偶発的に生まれるという風に見たい。もっと言えば、偶然起こったと考えるところに発見の驚き、喜びが込められていると思っている。

運命でも必然でもない偶然。ちょっとした縁のミルフィーユが織りなし、出会う驚き。大森周辺をたかが数時間歩くだけでそんな驚きに満ちた出会いが生まれる。だから、ただ歩く。ただそれだけ。それだけのことなのに、時の層から湧き出る声を聴き、時空を超えた景色を見ることができるのだ。

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