Return to site

寺田寅彦『写生紀行』に学ぶ

たまたま寺田寅彦先生の名随筆の一つ『写生紀行』を読んだ。街を歩きながら、何を感じ、観察し、妄想し、表現するかの教科書だった。時に大らかな目線で、学びの本質をとらえている「教育論」がひょいと顔を出すのがまたいい。

一部、気に入ったところを抜粋したが、短編なので、ぜひ青空文庫で全文お読みになることをおススメする。

●大宮に向かうには田端だった。子規も漱石も、大宮公園に遊んだ人たちは皆、田端駅でたむろしていたのだ。これから田端のホームに降り立った時、寅彦先生の姿が見えてしまうだろう。

「十月十五日。朝あまり天気が朗らかであったので急に思い立って出かける事にした。このあいだM君と会った時、いつかいっしょに大宮へでも行ってみようかという話をした事を思い出して、とにかく大宮まで行ってみる事にした。絵の具箱へスケッチ板を一枚入れて、それと座ぶとん代わりの古い布切れとを風呂敷で包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのものがきょうに限って異常な美しい色彩で輝いているのに驚かされた。停車場のくすぶった車庫や、ペンキのはげかかったタンクや転轍台のようなものまでも、小春の日光と空気の魔術にかかって名状のできない美しい色の配合を見せていた」

「田端へ着くともういよいよ日が入りかけた。夕日に染められた構内は朝見た時とはまるでちがったさらにさらに美しい別の絵になっていた」

●今、こんなことやったら大変な悪行!で叩かれるだろう。でも、こんな目線で学生を見つめ、学びをとらえる寅彦先生はさすがだ。

「行きにいっしょであった女学校の一団と再び同じ汽車に乗り合わせたが、生徒たちは行きとはまるで別人のように活発になっていた。あの物静かな唱歌はもう聞かれなくなって、にぎやかなむしろ騒々しい談笑が客車の中に沸き上がった。小さなバスケットや信玄袋の中から取り出した残りものの塩せんべいやサンドウイッチを片付けていた生徒たちの一人が、そういうものの包み紙を細かく引き裂いては窓から飛ばせ始めると、風下の窓から手を出してそれを取ろうとするものが幾人も出て来た。窓ぎわにすわっていた若い商人ふうの男もいっしょになってそのような遊戯を享楽していた。この暖かい小春の日光はやはり若い人たちの血のめぐりをよくしたのであろう。このような血のめぐりのいい時に、もしほんとうの教育、人の心を高い境地に引き上げるような積極的な教育が施されたら、どんなに有効な事であろう」

●これぞ「歩いて学ぶ」ということ!さすが先生!

「十月十六日、日曜。きのうの漫歩がからだにも精神にも予想以上にいい効果があったように思われたので、きょうもつづけて出かけてみる事にした。きのう汽車の窓から見ておいた浦和付近の森と丘との間を歩いてみようと思ったのである。きのう出る時にはほとんどなんのあてもなしであったのが、ただ一度の往復で途中へ数えきれないほどの目当てができてしまった。自分らの研究の仕事でもよく似た事がある。ただ空で考えるだけでは題目(テーマ)はなかなか出て来ないが、何か一つつつき始めるとその途中に無数の目当てができすぎて困るくらいである。そういう事でも、興味があるからやるというよりは、やるから興味ができる場合がどうも多いようである」

●文京区白山あたりに住んでいた寅彦先生が、巣鴨、日暮里、田端辺りを歩いていたこと。電車に乗って、東京のあちこちを絵を描くために歩き回っていたことがわかる。

「十月十八日、火曜。午後に子供を一人つれて、日暮里の新開町を通って町はずれに出た」

「十月二十九日、土曜。王子電車(注:今の都電荒川線)で小台の渡し(注:荒川遊園の辺り)まで行った。名前だけで想像していたこの渡し場は武蔵野の尾花の末を流れる川の岸のさびしい物哀れな小駅であったが、来て見るとまず大きな料理屋兼旅館が並んでいる間にペンキ塗りの安西洋料理屋があったり、川の岸にはいろんな粗末な工場があったり、そして猪苗代湖の水力で起こした電圧幾万幾千ボルトの三相交流(注:今でも東電の大きな変電所がある)が川の高い空をまたいでいるのに驚かされた」

●飛び石伝いに発想を広げてゆく。観察から仮説をとにかく立ててみる。そんな寅彦先生の姿勢がよく現れている。

「十一月二日、水曜。渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた。世田谷やという所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが、今ここを通って始めて知った。なるほど兵隊のいそうなという事が町に並んでいる店屋の種類からも想像されるのであった。駒沢村というのがやはりこの線路にある事も始めて知った。頭の中で離れ離れになってなんの連絡もなかったいろいろの場所がちょうど数珠の玉を糸に連ねるように、電車線路に貫ぬかれてつながり合って来るのがちょっとおもしろかった。学校で教わったり書物を読んだりして得た知識もやはり離れ離れになりがちなものである。ただ自分が何かの問題にまともにぶつかって、そのほうの必要からこれらの知識を通り抜ける時に、すべての空虚な知識が体験の糸に貫ぬかれて始めて生きて連結して来る。これと同じようなものだと思う」

寺田寅彦『写生紀行』(青空文庫)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2442_11128.html

All Posts
×

Almost done…

We just sent you an email. Please click the link in the email to confirm your subscription!

OKSubscriptions powered by Strikingly