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迷い、巡り、遍歴する「遊歩道」

遊び心いっぱいに道を歩くことを「遊歩道」と名づけてみた。「遊歩」だけでもいいのだが、それを続けるところに、日本の「道」のこころにつながる部分があると思ったからだ。実際に「道」を歩くことが、精神の「道」を磨くことにつながるという掛詞にもなっているし。

 

遊歩道は

遊びながら歩く道

遊んで歩くことで知る道

遊び歩くことの意味を探る道

まちなかもいなかもどんな道でも、身のまわりを遊んで歩けば「遊歩道」に変貌する。

「遊歩道」の特徴は、「迷」路 であること。

行きたい「点」はいくつか決まっているかもしれないが、どう行くかは自由。途中、「迷」って、あちこち行ってしまうのがいい。リアル脱出!とか気張らなくてもいい。知らないところを歩いて、なんとなく行きたい場所を目指すことは、「迷路」をさまよい歩くことと同じ。こうして眠れる Feel℃ を目覚めさせよう。

次に「巡」礼すること。

あちこち歩いた後に描かれた「軌跡」こそ、あなた自身のつくった、あなた自身のための「巡礼」の道だ。「巡」るという字に「く」が3つあるのは、少なくとも3回、自分のつくった「軌跡」を追い求めて歩け!ということ。一度歩いた道を、改めて別の機会に歩いてもよし。一度歩いた道を逆に歩いてもよし。前に気づかず、行けなかったところに出向いてもよし。新たに気づいた「観点」で、同じ辺りを歩いてもよし。

お「礼」まいりというごとく、自分のつくった「軌跡」の意味を改めて訪ねることこそ「礼」ということ。気づきを得たお「礼」として、改めて同じ道を「巡」って歩くと、さらに思わぬ発見へが生まれ、

「ああ、ありがたい!」

またまた「御礼」を言いたくなる。その気持ちで巡ると、もっと面白いことにぶつかって……という連鎖が「巡礼」だ。

こうして、いろいろなところを「迷路」を行くように「巡礼」することを積み重ねて「遍歴」の境地に達する。

酸いも甘いもかみわけて、俯瞰・達観、ものを見る目と Feel ℃ は高まるばかり。これが「遍歴」の境地だ。こうなると、出会うすべての事象が、人が、自分の人生において探究したい事柄に自ずとつながってゆく。

遍歴」は「悟り」に近いが、ちょっと違う。それは「聖人君子」の到達する境地ではないからだ。ふつうの人が、ひたすら遊び心を持って歩き続けている結果、自ずと到達する境地なのだ。

迷路・巡礼・遍歴を重ねれば、自ずとFeel ℃ は高まり、TQ マインド が活性化する。誰でも、いつでも、どこでも始められる「遊歩道」を今日も私は続ける。

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