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鶴見良行語録

『対話集・歩きながら考える』

●「あるく」と「よむ」

 

民俗学者の宮本常一さんは、「歩き」の達人だった。「あるく みる きく」という雑誌を晩年は主宰されていた。私も25年このかた東南アジアを歩いている。その間に「みる」と「きく」は「あるき」にともなう作業だと考えるようになった。いっそう重要なのは「読む」である。人跡未踏というが、そういう土地は今日、ごく少ない。たいていの土地には先人の歩いた記録が残っている。歩きながら読みたい、と思う。

 

鶴見:ぼくの場合、いまやっているのは読むことと歩くことですね。

 

鎌田慧:やっぱり物書きは、鶴見さんのように現地へ行って、そこで料理を自分で作らないと、そういう発想は生まれてこないかもしれないですね(笑)

 

鶴見:そこにホンダが走っている、というような、暮しのところから見据えていく情景を描いてみたいね。

 

鎌田:ぼくはどうしても資料を集めることにエネルギーを注いでしまうんです。資料を読んで、それを一度全部消してしまって書く角度を定めるためのバネに使うという、そういうところまで思い切ってしまえばいいんだけれども、資料を集めてしまうと、それがもったいなくなって、集めたぞということをどこかで表明したいという下心が現れたりなんかして……。

 

鶴見:歩いて、文章を書いて、それから後でそこに歴史を入れようとするから、記録を調べるでしょう。すごくおもしろいな。とくにこの一、二年くらい(注:1980年代に入ってということだろう)ですが、歩く中で書くという手法がだんだん自分に育ってきている。すごくおもしろいんです。今度も夢中になって歩くつもりですけれども。歩くことの中になにかが見えてくる、そういう意味で、もっと緻密に歩けるようにしたいと思っているんです。

 

鶴見:ぼくがもし教えるんだったら、自宅でビールを飲みながら教えますよ。厭味になるかもしれないけれども、ぼくは大学で教えるよりも小学校で教えた方がいいと思っている人間ですから。バナナを教えて欲しいといったさっきの小学校の先生なんか、やっぱり自分でがんばっているんですよ。ものすごくがんばっている。だから、子どもたちが生き生きしている。小学校四年生というのは、大体幼児期からあがる時期で、バナナって木じゃないんだよと教えると、先生、木に登れないの、なんてギャアギャア質問してくるわけね。大学では、このごろ……わかるでしょう。ものすごくタルイんだね。おもしろく聞いているんだか、おれの本読んでいるんだか、読んでないんだか、全然わからない。

 

鶴見:メモはものすごくします。だって民衆の暮しがわからなかったらどうしようもないでしょう。どういう土地で、どうやって暮しているのか。教科書に書いてあるものとはすごく違うわけです。教科書では、五月から九月ぐらいまでは南西からモンスーンがくるなんて書いてあるけれども、実際は違うんだなあ。そう言われてみれば日本の村々も同じじゃないかという感じがしますがね。その辺のところからもういっぺん問題を立て直していかないといけませんね。ぼくは大義大論はいま必要ないと言っているのです。

 

鶴見:歩きながらいろいろな疑問がわいてくる。それがだんだん頭のなかで発酵してくるわけです。そこで結論をいそいではだめです。ナマコでもおなじです。自分でじっくりあつめて歩いて、ゆっくりかんがえてやることです。サバのココス・アイランダーズにしても、私が疑問をもっていなかったら、歴史のなかにうもれてしまっていたとおもうんです。偶然発見したうれしさ、みんなで経験したよろこびというのは血わき肉おどるんです。人生というか、学問というのはおもしろいもんだよ。 

 

鶴見:自分がおもしろがってないと、人をおもしろがらせることはできないということはあると思うんですね。だから、ぼくは変な本を近く書こうと思って、今準備して、少しずつ書き出してるんです。ナマコの研究というのをやっていて、これはもう十年ぐらいになるんですけれど。『ナマコの眼』という本を書こうと思ってるんです。で、ナマコはおもしろいおもしろいというんで、私の狂気に感染しちゃった人間が何人もいるんですね。エビなんかもそうですけれども。エビ研というものを村井吉敬さんと一緒にやっていて、村井さんや中村尚司さんもそうですけれど、あらためて、自分たちでおもしろい、おもしろいと言ってると、大学院生まで入ってきて、学問ってこんなにおもしろいもんだって。初めてわかった、なんてうれしがっているのが出てくるんですね。ですから、やはり自分がおもしろがってないと、人もおもしろがってくれないんじゃないかという気がして。

 

鶴見:見た方がいいんですけれども、見る場合に目そのものを鍛えておかなければいけないんじゃないか。だからぼくは目は足についてるんだよとよく言うんですけれど、はっきり言えば目そのものを鍛えておかなくちゃ。これはよく出す例なんですが、例えば宮本常一さんはよく歩かれた方で有名ですけれども、田圃を見てこのくらいのでき具合だったら、この何反の田圃で何人家族がどのくらい食えるということがパッとおわかりになったというんですね。ぼくもだんだんそういうふうになりたいと思うんだけれども。二十年前はぼくはそういうことは全然気にならないで、無知蒙昧のまま歩いていたと思うんです。そこら辺を鍛えてないと、景色というのは見過ごしてしまうんです。

 

鶴見:一点突破、全面展開というんですけれど、一つのティピカルな意味を持つような事件なり、構図にぶつかった時には、それに深入りしていけば、だんだん世界が解きほぐれて見えてくる。

 

鶴見:私は勉強好きですから勉強はいたしますけれども、自分は必ずしも学者だとは考えてない。ぼくは基本的には自分がジャーナリストだと思っています。つまり人人に伝えるということが私の仕事だと思っています。だからつまり正式の調査というのは、バナナの時しかしてないんです(『バナナと日本人』岩波新書、1982年、参照)。……(中略)……ぼくは、大体歩いてただ見てるだけで、あとは今おっしゃったような生身の人とのつきあいというか、漁民と話して見たり、おばさんと話して見たり、バスの車掌さんと話してみたりするようなことですね。ですから、あまり調査らしい調査だとか、研究らしい研究とかはしてないわけです。 →  オーラルヒストリー(柳田民俗学、宮本民俗学の影響=聞き書き)

 

鶴見:ぼくがナマコを研究したり村井さんと一緒にエビを追っかけたりしているのを、アカデミズムの連中からは、かれらは金があって、というふうに言われるのね(笑)。我々は、自前で動いてきているんだよ。今は豊かなんだから、その中で旅をしようと思えばできるはず。それがやられていないということを考えると、バジャウ族に対する辛さとはまた違った意味で、日本のアカデミズムに対するつらさを感じる。腹が立つ。何しておるんや、という感じだね。

 

鶴見:ぼくはだいたい最初はへんだなというところでカードをとり初めて、それが数百枚集まったころから、問題を少し整理していくんです。ですから最初からそういう意識でナマコを調べ始めたんじゃないんですけれども。

 

鶴見:本当からいうとね、『ナマコの眼』は、学問の世界では禁句になっているような、一種の感情移入という方法で書いているんです。つまりナマコの眼から見たというのは、これは普通、学問では使えない手法なんですけれども、まあ、私は学者じゃないんだからいいだろうと(笑)。ですから非常にたとえをたくさん使っていて、ナマコの笑いが海の底から聞こえてくるみたいなことをたくさん書いた。

 

網野善彦:面白いです。とても。

 

● 物から見る

 

鶴見:昔から物の流れは、人の流れにくっついてあった。……(中略)……物の流れを見てくると、地図の上では点のように小さな港町や、あるいは地図に載っていないような地点が、実に緊密に結ばれていて、物や人が流れているのが分かりますね。

 

鶴見:暮しの生きざまみたいなものは、歩かないとわかってこないですよね。

 

鶴見:ニンニクにはちょっと思い出があるんですよね。私は料理が好きだから、何人かで調査をするときはいつも料理係なんですよ。フィリピンのミンダナオでバナナの調査をしているときも、料理をつくっていた。あのころのニンニクはものすごくやせていて、皮をむくのにすごく時間がかかった。いまはどこのニンニクもふっくらしていますよ。三十年間のニンニクの変化をみるだけでも、東南アジアの経済、はっきりいえば野菜が換金作物になってくる過程というものがみえてくる。そういうことは本だけで勉強していてもわからないことでしょう。

(注:ボルネオ島のマレージア領サバとボルネオ島南部のインドネシア領カリマンタンとの間でニンニクの密貿易が行われている。カリマンタンからラタン(籐)を運んだ帰りの空の船にニンニクを積んで帰る。なぜなら、インドネシアではニンニクの交易を独占しているファミリーがいて、高値になり、手に入りにくいからだ。そこで、中国産のニンニクを台湾経由で入手し、闇取引しているわけだ。こういう構造を知っていると、滞在先での日々の料理でニンニクを見るだけでそこに起きている背後の状況が推理できるのだ)

 

●鶴見さんの仮説の立て方

 

鶴見:紀州串本の漁民がオーストラリアの北端のトレス海峡に出ていってる。江戸の末期から出ていたという説がある。羽原又吉が岩波新書の『漂流民』にそう書いている。羽原又吉は資料考証が非常に確かな人だから、でたらめなことを書くわけがない。串本漁民が生米を食い生水を飲みつないでトレス海峡まで行く。そして真珠貝をとって帰ってくる。それを日本の中国地方の華人の商人に売ったと書いてある。生米を食い生水を飲んで行ったというんだけど、これは明らかに漂流です。日本からトレス海峡までは五千キロ以上あるんですよ。途中の島にぶつからずに流れることはありえない。必ずどこか島に行き着く。島に着けば必ず帰ろうという気持ちになりますよ。人間の本能として。それがなぜあんなところまで行っちゃったのか、それがわからない。ずいぶんいろんな仮説を立てたんだけど。今度羽原さんが持っていたであろうと思われる資料が東京水産大学にあるから、それを全部調べて串本の方へ聞きに行きます。

 

●最晩年の目標は教育だった

 

鶴見:あとは教育ですよ。いま学部学生と一緒に「お稲荷さんに生きる人々」という調査を始めてるんだけど、そういう具体的な事実から考察をスタートさせるというスタイルを教える。残された寿命でできることは、そんなところです。そんなにいろんなことできません。

 

●写真の用い方

 

鶴見:ぼくが写真を撮る場合には、ほとんど普通の日本の方たちに伝えたいと思って写真を撮ってるんです。

 

鶴見:(写真は)どちらかと言えば人に伝えるために、それから記録のためですから、だからぼくの記録の仕方は日記をとってカードとってそれから写真です。写真見ながら文章を書きます。ぼくは写真と、日記と、カードは資料です。この3つでぼくは仕事整理してます。全然ものを見ないで書いているということはほとんどない。

インタビュアー:歩き方について、なにかアドバイスはございませんか。

 

鶴見:アドバイスできるようなことなんて私にはないですよ。ああそうだ、ひとつある。それはかみさんといっしょ、できたら子どもといっしょに歩くことです。そうすればどこでも信用されますよ。

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