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逗子の辻子を厨子かついで歩く

辻子探究パート3

土曜の朝のただの散歩。中世からの古道の「辻子」である新宿稲荷からスタートする。

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「新宿三丁目」からの逗子ウォークである。

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浜伝いの一本道をひたすら進み、富士見橋へ向かう。

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富士見橋を渡って左折し、徳富さんの家を過ぎ、永井荷風が少年期に病気療養で暮らした家の跡地と思われる駐車場を過ぎる。

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田越川に沿って蛇行する、バスも通る細道。つい最近も歩いたばかりで、日常歩いている道だ。すると右手に地蔵堂と石塔が建っていることに初めて気づき、思わず足を止めた。

祠の中にある地蔵は、保存状態がよいが、銘を読むと「元禄九年(1696年)」と刻まれている。なんと三百年以上も前につくられたものだった。

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地蔵堂の右脇に建つ石塔には「六十六部供養塔」と刻まれている。こちらは文化三年(1806年)につくられたもの。願主は、桜山の石渡新兵衛。

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六十六部とは何だ?

とても気になった。

家に帰ってから調べてみると、法華経を六十六回書写して、一部ずつを六十六か所の霊場に納めて歩いた巡礼者のことだと言う。室町時代に始まったらしい(大辞泉より)。

やがて時代が下り、江戸時代になると、単なる遊行僧を「六部」と呼んだ。実態は米や銭をめぐんでもらうために歩いた乞食同然の者だった。

どんなかっこうをしていたかと言うと、下のイラストのように、仏像の入った「厨子」を背負って、鉦や鈴を鳴らして放浪していた。

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「逗子」の「辻子」を「厨子」を背負った六十六部が通っていたとは!

 

中には、力尽きて行き倒れた者もあったのだろう。そういう人達を葬った供養塔だったのだ。

もう百メートルも行けば、清盛の曽孫の六代御前が処刑されたところ。どうもこの辺りに処刑場があったようだ。それを裏づけるかのように、昭和四十三年(1968年)に、近くの工事現場から人骨が多数発見されたと言う(ちなみに鎌倉や逗子において、昔の人の人骨が発掘されるのは珍しいことではない)。

地蔵堂の左の石碑は、享保八年(1723年)に建てられたもので「有縁無縁平等利益」と刻まれている。罪科人や乞食も分け隔てなく懇ろに葬ろうとする当時の逗子の人たちの気持ちが伝わってくる。

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ただ Feel°Cのまま歩けと言っても、観察力の乏しい人は、何も見つけられないんじゃないか。漠然と歩くよりも、何かを見つけて歩くとした方がいいのではないか。そう考える人は多い。

「私もフィールドワークは好きですが、その時に、なんでもいいから丸いものとか、三角のものとか、決めて歩くと、いろんなものが引っかかってきて面白いんですよね。だから、何も目標を持たずただ歩くというのがピンとこないんです」

ただふらふらしても何も見つからないというわけだ。確かに、最初は歩いたところで大した発見はないかもしれない。でも、それでいいのだと私は思う。

あまり集まらない中で自分が集めてしまった、注目してしまったモノ・コトを知るというのが、鈍った Feel°C を蘇らせる最初のきっかけになるだろう。見つけやすいモノとか、目標を与えてしまったら、ただ委ね、任せ、なすがままにワンダリングする機会を奪ってしまう。まず脳をデフォルトモードに戻すことが大事なのだから、発見を補助するヒントは不要。むしろ逆効果だと私は思う。

同じ場所を最低三度歩いてみよ。

これが Feel°C Walk の大事なお作法の一つとするのは、一度目は無目的・無意図で、足の向くまま歩いてみればいいと思いきるためだ。普段、体に染みついている「成果をあげよ」「無駄をなくせ」という発想を捨て去るのだ。

虎視眈眈とならず、集めようと思わずぼーっと歩くと、周辺視が働くモードに自ずとなる。凝視ではなく、周辺視を働かせて、歩いた範囲を俯瞰してつかまないと、ウォークした後に「略図」を描くことができない。一回目は、細かい部分をつかむのではなく、街にある地図や建物、目印になりそうな何かを大雑把につかみながら歩けばいい。

面白いモノやコトはきっと見つかる。見つけようとガツガツする必要はない。

そんなゆるさが何より重要だろう。

六十六部の「巡礼」は、八十八カ所に代表されるお遍路さんの「巡礼」とは大きく異なる特徴がある。今の「巡礼」スタイルは、まさにお遍路型。行くところが決まっていて、ひたすら巡っていく。御朱印を集めるのと、スタンプラリーはあまり変わらない。それはそれで面白いし、悪いことだとは思わない。しかし、六十六部は、行き先が最初からあるわけではなく、気のみ気のままで行き場所を決める。これも重要な「巡礼」のスタイルなのだ。

言ってみれば、Feel°C Walk は六十六部型巡礼に近い。そんなことを教えてくれるために、私を引き寄せたのだろうか。

とはいえ、時の流れは無情なり。阿弥陀様とお地蔵様と供養塔の前には収集前のゴミが集まっていた。

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乞食で可哀想なだけの人だったら供養塔をわざわざ建てるだろうか。定住せず、貧しく、訪れる土地で、民と交わり、仕事を助け、歩いて得た情報をシェアし、遊んだ仲間。それが「六十六部」だったとも言える。

ゆるくつながる場が生まれた交差点としての、横道としての「辻子」。そんな「逗子」の街の姿がどんどん浮かび上がってくる。

探究は続く……